皆様、院長紹介のページをご覧いただきありがとうございます。
この病院の院長はどんな人物か、多少なり興味を持っていただき嬉しく思います。
簡単ではありますが少しご紹介させていただきます。
生い立ち
1983年岩手県盛岡市、駅から山を1つ超えた田舎の出身です。
父は医師、母は薬剤師、祖父母も医師という医療関係者が多い家庭に生まれました。
祖父は水沢(現在の奥州市)の常盤木病院の開設者というのもあり、
幼いころから病院を行き来し自然と医療というものを身近に感じ育っておりました。
木々が生い茂る田舎の中で、当時は新興住宅地というのもあり、幼馴染も多く、
毎日暗くなるまで公園や学校で遊んでいたのが懐かしく思います。
学生時代
小学校低学年から野球を始め、ポジションはキャッチャー。
周りの子供と比べ当時は少し体が大きかった事が理由で勝手にプロテクターをあてがわれ、
キャッチャーなんて辞めたいと言っても辞めさせてくれない少年チームでプレーをしていました。
挫けず野球を続けた結果
中学では部長を務めるまでに至り、盛岡市の大会で準優勝するまで上達しました。
そのまま健やかに育っていればもしかしたら別の道もあったかもしれませんが、
厳格な父、教育熱心な母の元、中学高校と長い反抗期もあり、気が付いたら、長い冬が。。。
心を入れ替え、受験勉強に励んだ結果
日本歯科大学へ入学することとなりました。
大学では勉強そっちのけでアルバイトに明け暮れ、貯めたお金で
大学4年生の時春休みを利用しニューヨークへ1か月間、語学留学もしました。
海外の人と交流することで世界の広さ、考え方の違い、話し方、伝え方、振る舞い
自分のあらゆるものの範囲がものすごい狭いということに気づくことが出来ました。
歯科医師になって
その後、卒業試験、国家試験と無事合格し、研修医となるわけですが
良いと評判の先生がいる派遣先の研修施設を選んで行った先が大阪と埼玉。
それぞれ4か月研修をしたわけですが、
日本でトップクラスのスタディグループの講師であられる先生方の下で
みっちり研修をさせていただきました。
たったの4か月でしたが、診査診断、治療計画、現在の診療の基礎がその時にできました。
当時ご指導してくださった先生方には本当に感謝しており、現在も交流させて頂いております。
勤務医時代
埼玉の研修先にそのまま就職することとなったわけですが
朝は8時から、昼はミーティング、夜は終電。
家には寝るためだけに帰る生活が4年続きました。
歯周病、インプラント、矯正、審美、研修終わりたての歯科医師にとっては覚えることが多すぎて毎日が本当に戦場でした。
インプラントや歯周病などの外科治療を毎日のようにしている医院でしたので
診療の合間に見学をし、盗める技術は出来るだけ盗む
診療終わりに反復し、院長に質問、治療計画の作成、チェック、そのあとに練習。
同期にその話をすると信じてもらえない、過酷な日々でした。
学会や院長の開催しているセミナー、勉強会にも同行させていただいたり
その4年間は大変だったことがたくさんありましたが、人生の中で最も色んな事を吸収しまた、充実した4年間でもありました。
開業して
2018年に、ここ宮崎台で開業し数年が経ちました。
歯周病の治療や、矯正、インプラントの治療は時間がかかります。
患者様の頑張りもあり、ようやく長期間の治療を終えた方が増えてきました。
歯がなくなってしまった方や、歯周病で不安になってしまっている方
患者様の悩みはそれぞれ違いますが、
治療を終えて笑顔になるところを見ることが出来るのは歯医者になって良かったなと思える瞬間です。